はじめまして。ちょこなすといいます!
2児の母で看護師です。長男は発達障がい(自閉症)と診断されています。
乳幼児期のお子さんの発達がちょっとゆっくりかも?と気になっている保護者の方は多いのではないでしょうか。
私も母子手帳の項目をチェックするときに、一喜一憂していました。
今回は、お子さんの発達に心配事のある方や、支援級を検討中の保護者の方の参考になるかもしれないと思い、3歳で自閉症と診断を受けた『長男の乳幼児期の経過』を書いていきます。
発達障がいの種類や特性の強さによっても違ってきますが、一般的に、発達障がいの特性が目立ち始めるのが2~3歳頃と言われています。
よって、この乳幼児期には母子手帳でのチェックや乳幼児健診にてスクリーニングされるようになっています。
早期支援に繋がれるよう手厚くされているのだと思います。(私の長男は見逃されましたが…泣)
0~1歳
5ヵ月で寝返り、9ヵ月でつかまり立ち、13ヵ月でひとり歩きをしていました。
目も合うし、よく笑うし、「アンパンマン」等意味のある単語も出ていたので、まさか息子に障がいがあるとは思っていませんでした。
健診での指摘もありませんでした。
でも今思うと…
- 1歳時点でバイバイ、コンニチハ等の身振りは△評価。
- 1歳のお誕生日会では沢山の慣れないの人や大きな声、音に大泣きだった。
- 母(私)以外の抱っこをすごく嫌がる。
- 1歳4ヵ月、保育園の入園式で母から離れて歩き回っていた。
⇒感覚過敏やコミュニケーションの困難さ、こだわり、落ち着きのなさのエピソードがありました。でも、一人目だったこともあり、「赤ちゃんってこんなもんかな?みんな大変だって言ってるし、自分だけが特別しんどいわけじゃないよね」という認識でした。
2歳
- 発達面の遅れに気付き始めた時期。
- 2歳1ヵ月、2語文を話すが語彙が少なく不明瞭なため、私(母親)しか聞き取れなかった。
⇒2歳10ヵ月、言葉の不明瞭さを主訴に、保健センターへ相談しました。
また、言葉の不明瞭さは聞こえが原因ではとも思い、耳鼻科受診しましたが、聴覚に異常は認められませんでした(産後すぐの聴力検査で異常なしだったので可能性は低いと思いましたが念の為)。
言葉の不明瞭さについては、年長さんのあたりからだいぶ軽減されていきました(STは受けていません)。ST相談で受けたアドバイス通り、しりとり等はよくするようにしていましたが、特別なことはしておらず、息子が自然と正しい発音を身につけてくれたように思います。
DCD(発達性協調運動障がい)による影響がでていたのかな、と今となっては思っています。
3歳
- 3歳2ヵ月、K式検査では半年程の発達の遅れが認められた。
- 3歳2ヵ月、クレヨンなどで丸(円)が書けるようになったが、手先の不器用さあり。
- 3歳2ヵ月、自分の名前が言えるようになった。沢山話し、「牛乳を~、ここに入れて~、する~!」など、助詞も使い始め、4語文も話すけれど、発音の不明瞭さは継続していた。
- 3歳4ヵ月、私立幼稚園に入園する(加配なし)。
- 3歳5ヵ月、初めて発達外来を受診し、“ごく軽度だけど自閉症スペクトラム”と言われる。
- 3歳6ヵ月、発達外来でADOSの道具を用いた行動観察検査を受け、他者に向けた発声の少なさや、アイコンタクトの少なさ、要求の苦手さを指摘された。(ADOSとは:発達障がいの診断のために欧米で用いられることの多い行動観察を使った検査。2017年時点、日本では、まだ標準化されていない)
- 3歳7ヵ月、療育スタート(4か所の民間療育で、週2~3回利用)。
- 幼稚園の制服のお着替えに苦戦するも、ボタン掛けなど1学期中にできるようになった。
- 3歳の夏におしっこはトイレでできるようになり、おむつ卒業も、うんちは失敗が続き、トイレでできても自分ではきれいに拭けない。(何枚パンツ捨てたやろ…笑)
- 幼稚園の行き渋りがありましたが、お友達にも恵まれ、本人の希望で課外活動のサッカーも始める(休みがち&すぐ辞めたけど・笑)。
- 爪噛みをする。
⇒マンモス私立幼稚園(1学年8クラス)に入園しました。
この園を選んだ理由は、園長、副園長先生が発達に心配のある子にも理解があり、私達親子を優しく受け入れて下さったからです。
また、どちらかというとのびのび系の園であること、それから、課外活動の豊富さも魅力でした。
本来なら、初めての場所や初めての人が苦手な息子にとって、クラス数が少ない方が年度ごとの環境変化による負担も少なく済むので私も探したのですが…。
私の場合、転勤&引越しの時期と丸かぶりだったので情報収集も見学もほとんどできずだったので、それだけは、心残りです。
これから園探しをされる保護者の方は、発達支援センター等で相談すると、もしかしたら地域の幼稚園の情報をもっているかもしれません。
私立、公立、療育園など、選択肢は色々あると思うので、実際にお子さんを連れて、できればご夫婦で見学に行かれるのをオススメします!
4歳
- 4歳1ヵ月、言葉の不明瞭さが続いており、言語相談を受ける(2,3年待ちと言われたけど、半年おきに相談・経過をみることに)。
- 年中さんに進級し、新しいお部屋に入る前、目に涙をためていた。
- 幼稚園の運動会の練習やお制作が難しいと、夜寝る前に静かに泣きながら教えてくれる。
- はさみがうまく使えない。
- 発達外来の定期受診(半年おき)で、言葉の不明瞭さはそれほど気にならない、来年の夏には小学校の支援級について検討するようにと言われる。
- 縄跳びができない。
- 縄跳びを袋にしまうのに時間がかかるのが嫌でしくしく泣く。
⇒お制作は手先の不器用さがあり苦戦し、うまくできずに落ち込むことがよくありました。
「保育所等訪問支援」サービスを利用し、療育の先生に幼稚園へ訪問をしてもらい、支援方法を考えていただきました。
療育の先生からは、制作時に一斉指示され、周りの動きを見て画用紙を取りに行くも、“何を作るの?”と聞くと長男は「分からない」と…。改めて何を作るか伝えてあげると上手に作ることができたそう。
騒がしい中、先生から遠い場所に座って指示を聞くのは長男には難しすぎること、見逃し、聞き逃しも多いこと、ハードルを下げる為に途中まで幼稚園の先生に準備してもらう等の配慮してもらう必要があるとのアドバイスをもらいました。
とはいえ、幼稚園の先生にどこまで支援を求められるか、こればかりは相談してみないと分かりません。
長男は、お制作時は先生の近くに座らせてもらい、助けてもらいながら取り組むようにしてもらいました。
結果、HELP要求をする訓練にもなり、息子にとって良かったなと思っています。
手先の不器用さがあるため、定型児の子にとってはなんてないことにもつまづきがあります。
縄跳びを袋にしまえないことに真剣に悩み泣いていた時は、驚きました。
これに関しては、袋を少し大きいものに変えてもいいか幼稚園の先生に確認してから、本人が使いやすいものに変更しました。
縄跳びが飛べないことに関しては、療育の内容にも取り入れてもらい、得意ではないけれど、前飛びはできるようになりました。
5~6歳(卒園まで)
- はっきりした発音ではまだ話せない。
- 沢山話すが、文章の組み立てが困難で、スムーズに話すのが難しい。
- 幼稚園+療育週2~3日を継続。
- 幼稚園でイレギュラーなことがあると、戸惑い、必要以上に不安になる。
- スイミング、英会話を始め、サッカーも再開する。
- 5歳11ヵ月、発達外来でWISKを受ける。
- ガラガラうがいができるようになる。
⇒STはまだタイミングじゃない、等という理由で受けられずにいましたが、言語相談は半年おきに受けてきました。6歳過ぎたくらいからは発音がはっきり話せるようになっていたため、結局STは受けずに言語相談も終了しました。
まとめ
息子の困り感に対し、私なりに奮闘してきた乳幼児期でした。
私は看護師ですが、小児科で働いた経験もなく、子どもの発達に対する知識もほとんどなかったので、毎日手探り状態でした。
私はもともと母親になっても仕事を続けてもっとステップアップしたいという気持ちがあったので、専業主婦になることに抵抗があったのですが、毎日幼稚園の送迎をし、先生に園での様子を教えてもらったり、幼稚園のあとに週2~3日親子で療育に通ったりと、専業主婦じゃなかったらこんなにできなかっただろうなと思います。
私なりに、息子を最大限サポートできたのではないか、と思えるので、良かったなと思っています。
でも本当は子育ても仕事もどちらも諦めたくなかったとういうのが本音です!
発達に心配のある子の保護者が、子どもをサポートしながら、変わらず就労し続けられるような社会の仕組みが整うことを切に願います。
そんな長男も現在小学3年生。地域の小学校の支援級に在籍中です。
今も環境の変化に対する不安がすごく強かったり、おしゃべりは好きだけど言葉の組み立てが難しかったり、運動全般苦手だったりと、困っていることはあります。
大きくなると、また別の困り感がでてくるので、そのたびに親としても何ができるか、どうしたらいいのか、日々模索中です。
【学童期編】があるのかないのか(笑)。
また、機会があれば追記しようと思います。
焦らず、ゆっくり。息子と自分に言い聞かせながら、日々過ごしています。
最後まで読んでいただきありがとうございました!